栗田 優美

​高校3年生

​「その子の可能性を閉ざさない」

―来年4月から保健体育の教職課程に進む、栗田さんの目指す理想の先生像は。

 

 「限界を見させない先生」。その子の限界があったとしても、その先を見せられる人。私は絶対宙返りができる、体操選手になれるってみんなが思うんじゃなくて、自分は前転すらできないと思ってたけど前転は意外と簡単だったとか。一歩先というか、常にその子の可能性を閉ざさない。可能性を閉ざさないことがその子の自信にも絶対になるし、その子に保健体育じゃなくても、嫌だっていう気持ちを持たせないことにもなると思うんですよ。例えば(栗田さんが長年通った)ダンス教室だったら、ダンスが好きな子が集まるから、基本的にあんまり自分が限界をつくってないことが多い気がするんですよ。けど学校っていうのは、元々能力がすごい低い子もいれば高い子もいてっていう中で、しかもマイナスのイメージを持ってる子さえもいるっていう環境の中で、そんな子をマイナスにさせないというか。できないと思ってほしくないですね。基本的に、何でも。

 

 その子がどんな道に進むかって、学校生活・学生時代で決まると思うんですよ。やっぱり自分が何をしたいかとか、どういう道に進むかって、絶対自分の経験がもとになるから。その経験に「これはできなかったから」「これは無理だから」ってそっちの方向性を無くさないでほしい。保健体育でそうなってほしくないというより、全部の教科でそうなんですよね。全部において嫌いにならない、無理だと思わない。自分がちょっと自信のない分野だと、無理だと思わせない自信がないんですよ。自分が「正直無理だ」って思ってる時点で、その子が無理だって感じないわけないから。


 

―そもそも何に対しても無理だと思ってないの?

 「無理だ」って思いたくないんだと思います。それこそ今、男女合同での体育の授業を始めて思うのは、男女の体力の差って大きいんですけど、無理だと思いたくない。例えばハンドボールだったら、今男子がキーパーやったりしてるわけですよ。絶対決めてやりたい。男子から点を取りたい。実際私は男子から点を取ったことはないですけど。「やってみたい」の気持ちを押し殺したくはない。無理だと思ったら「やってみたい」は自然に消えちゃう気がして。だから無理だと思わないことで、やってみたい気持ちを消さないようにしてる。

―2年間対話を重ねてきたけど、正直、こんなに学校が好きな人を見たことがない。栗田さんにとっての、学校の魅力は何なの?

 

 日常だけど非日常でもあるような空間ってことですかね。非日常っていうと大げさなのかもしれないですけど。ママがよく言うんですけど、学校は友達がいて、やれって言われた課題あって、その課題に点数が付けられる。でも家事は自分ひとりがやらなきゃいけなくて、やっても別に点数も返ってこない。やったことに対して点数が付けられるのってマイナスに捉えられちゃうかもしれないけど、お母さんたちからしたら、点数が悪かったとしても何かリターンがあることってすごいありがたいことなんだよ、って。ちょっと納得しちゃった。

 実際「課題ヤだねー」とか「これやばくない!?」とか話してる瞬間も楽しかったりするんですよ。それさえも非日常。毎日やってることだから普通は日常っていうけど、1個1個に着目したら新しいことだらけだし。例えば国語でも、次から次へと新しい物語が出てきて。自分が触りたくないものも、触りたいものも、思い通りにも行かない感じも、もはや好き。

 好きなことだけできるのがダンス教室だった。一方で、例えば体育で、好きじゃない「柔道やります」ってなったら楽しくないけど、「次はバレーボールです」ってなったら、そのときの飛躍ってすごくないですか? 「やった! バレー!」みたいな。でも、ずっとバレーだったら絶対にこうはならない。感情の”下”があるから”上”が楽しく感じられるって、学校ならではなのかなって。


 

―つい、好きなことばっかりやる場所の方が好ましく感じちゃうなあ。

 ずっと体育だったらいいのにとか、口では言いますよ。言うけど、ずっと体育になったら、これほど楽しいと思えるのかどうか。今の7割ぐらいの楽しさで続くんじゃないかな。自分の中で嫌なことも、目の前にあるときは絶対嫌だし、学校行きたくなくなるけど、いざそれが過ぎて過去になったときに、全てが良い経験になったってわけでも全然ないけど、なんかこう「良かったな」と思う。


 

―みんながうまくて好きな場所より、好きな人も嫌いな人もいる場所の方がおもしろいって、前に話してくれたのも印象的だった。

 ダンスが好きな人ばかりといるのは、価値観も似たようになるのかもしれない。けど、ずっと一緒だと大変かもしれないですけど、ある授業では一緒にワークを進めるとか、この日は話し合いをするとかっていう分には、違う価値観の人といる方が新たな考えが得られる。スポーツでも、苦手な人と得意な人がいる。例えば跳び箱10段跳べる人が、3段しか跳べない人の気持ちをわかるのって、相当難しいと思うんですよ。10段跳べる人だけの集団だったら絶対わかんないじゃないですか。10段跳べる人と3段しか跳べない人がいるから、初めて重なり合うというか、「なんでできないの?」ってなる感じが学校だなと。


 

―自分自身が場合によって、10段跳べる人のときもあれば、3段しか跳べない人のときもあるんだよね。

 

 そうです。それこそ勉強なんかは私は3段しか跳べないけど、3段しか勉強ができないおかげで、スポーツはできるってことに気づける。もしスポーツだけしかない世界だったら、スポーツを自分ができるって気づけない。自分の中でできないことできることがあるから、より自分で「これができる」ってわかるんですよね。


 

―もはや自分のできないところすら尊く感じるようになるね。

 できないことがいけないって、本当に私は思ってない。できなくても、それはそれでいいんですよ。

(2020.10.2、学年は当時)

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