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工藤 颯莉

​高校2年生

​「どんどん本能的に、感覚的になっていった」

 超申し訳ないんですけど、(1on1 collegeに)全然参加する気なかったんですよ。直前まで。申し込み〆切の前日の夜にたまたま何人かの友達といて「みんな申し込んだよ」って聞いて。

 最初は、自分が熱中してるものについて話しましたよね。当時はそれがわからなかったし。

 「やらなきゃ」「やらなくちゃ」「これがいいだろうな」っていうところから、どんどん本能的というか、感覚的なものになったんですよね。「自分が本当は一番気になってたもの」がグラフィックレコーディング※だとわかったのはおもしろかったし、楽しくなりました。

※グラフィックレコーディング:議論や対話を、絵と文字を使いながらリアルタイムに可視化していく記録の手法。通称グラレコ。

 今ではグラレコ自体がこんなに楽しかったんだなって思うし、こんなに好きなものを自分がわーってやれるんだなっていう気づきもあります。

 あと最近は、自分にとっての「良いグラレコ」の定義が変わったな、というのが大きいです。

 そもそも良いグラレコってものを考えるのが、意外というか。私にとってはそれはもうだいぶ見えてるんです、ってくらいの感じでいたんですよ。

 「グラレコは、議論と会話が活性化されるものです」と。「その場の雰囲気が変わったり、元々ある大事な軸みたいなものを忘れないようにしたり、そういう効果があります」って思っていたんですよ。それはインターネットとか本とかで色々読んできて。

 なんだけど、それを問われて、当たり前のように答えていたら矛盾するところが出てきて。でも今、新しく「華やかさ」を追求していることもそうだし、イベントや会議によって良いグラレコは変わるんじゃないかと。こんなに色々な立場があるのか、っていうのがわかって。そういう根本というか、当たり前ぐらいに思っていたことを聞かれて、話してみたらちがって。そこで出てきた答えを深掘りしてみたら、そういうことだったのか、っていうのがあって。

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 活動してて何度も相談してますけど、場がないというのはネックになりますよね。でも、だからといって誰かとやろうとはならなかったな。

 でももしかしたら、ひとりで考えてたら、ボランティアやダンスを選んで、グラレコを選んでなかったかもしれない。あんなにしっかり考えたことなかったんですよ。私今まで特に深く考えずに進んできて。そういう意味では成り行きが多かったんですけど。

 自分にとってボランティアやダンスは、自然とあることで。グラレコは唯一、自然に生きてたらやらないことで。もちろんどれもやっていてすごい楽しいんですけど。でもグラレコをやってみたら、思ったよりグラレコしてた、みたいな(笑)。

 この前ご縁があって、社会人が集まるゼミのような場で、初めて個人的にグラレコを依頼されて行ったんですよ。そのときに、その依頼人もそうだし、運営の人や参加者たちと話して、全然みんな年代も違うし、やってることもちがう人たちに触れたんですけど、そういう人たちでも、グラレコを通して話せることがあって。それがおもしろいなって。

 やりたいことはたくさんあるんですよ、グラレコで。やりたいことは山ほどあって…。この前、わーっと考えたいときがあって、やりたいことを書き出したんですよ。色々やりたいことはあって。これからはグラレコの活かし方を探ることかな。あとはグラレコが上手くなりたいっていうのはずっとあります。どんな段階にいても。

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(2020.2.4、学年は当時)

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