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「自伝のように、自分の物語を紡いでいく」

この春に大学を卒業し、新社会人としての生活を始めた若林雅幸さん。耳の聞こえない両親のもとに生まれた若林さんは、幼いころから敏感に人の表情や視線を感じ取り、その膨大な情報量に圧倒されてきたと語ります。そんな彼にとって「言葉にすること」は、溢れる情報を整理して、自分自身の物語にしていくための行為。そして何より“生きている”と実感できる時間なのだそう。言語化と向き合い続けてきた若林さんが、1on1 collegeを通じて何を得たのか。1on1 collegeを利用した半年間についてなど、これまでの軌跡を聞きました。

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若林 雅幸

​既卒​​​

<1on1 collegeとは>

高校生・大学生向けに月1回、1時間、社会人メンターとのオンラインでの1on1を無償で提供しています。
1on1は、なんでも話したり、考えることができる場です。進路や就活について考えたり、最近興味のあることや悩んでいることを整理したり、自己理解を深めるために活用している学生もいます。様々な角度から質問をもらいながら、たくさんのことを「言語化」することで、自分の価値観、行動、目標や課題、優先順位が「整理」され、次の自分の「選択」が最適化されていくと考えています。

体験1on1はこちらから:https://www.1on1college.com/start

自由に話せる、ビックステージ​​​​​​​​​​

 

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━━ 1on1 collegeをはじめたのは大学4年生の後半だったんですね。はじめたきっかけはなんだったんでしょう。

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大学の先輩からの勧めがきっかけです。

ちょうど就職活動をしていた時期でもあったし、もともと言葉を紡ぐことが好きだったので、「話をよく聞いてくれる人たちがいるよ」と言われて興味を持ちました。

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━━ 実際に1on1 collegeをはじめてみて、どうでしたか?

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ものすごく楽しかったです。
僕の場合は、その時の感性のまま、自由に口から言葉を走らせていく感じで話をしていました。

 

文章を書く人が『筆が走る』っていうのと似ていて、理性が感性にコントロールを乗っ取られている感覚。そういうふうに話ができている瞬間が、僕にとってはすごく楽しいし、自分の言葉でしゃべれているなと感じられる。

 

1on1 collegeでメンターのたみおさんと話ているときは、そう感じることが多くて、自分が1番自分でいられた時間でした。

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━━ 面白い感覚ですね。普段の会話では、そういう感覚になることは難しいんでしょうか。

親友と話しているときや、1対1でお互いの話に集中できる環境であれば、同じような感覚になることもあります。でも普段の会話だと、相手が自分の話題に興味があるかが気になったり、途中で別の人が話に加わってきたりして、いろんな雑念が入ってきやすい。

 

一方で1on1 collegeは、ちゃんと話す場として整理され、たみおさんっていうオーディエンスがいて、何を話しても自由。自分にとっては、話すためのすべてが整っている「ビックステージ」でした。​

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━━ 1on1 collegeは言葉にすることだけに集中して、楽しめる時間だったんですね。当時はどんな話をしていたんでしょう。

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自伝を喋っているような感じです。自分が歩んできた人生をもとに、今はこういうことを感じていて、これからどんなことがしたいかみたいなことを話していました。

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━━ それらを話すことは若林さんにとってどんな意味があったんでしょう。

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話すことによって、自分の物語をつくっているんだと思います。僕は、人生は本みたいなものだと例えることが多くて。

今の自分の視点から過去の自分を振り返って、そのとき感じていたことや、その経験が今の自分にどう影響しているかを言葉に落とし込んで、本のページをつくっていく。そういう行為が自分にとってはすごく面白いし、自分が生きてきたことを感じられることなんです。

 

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耳の聞こえない両親のもとで​​​​​​​

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━━ 若林さんの今は、どんな過去から成り立っているんでしょう。

立命館アジア太平洋大学(APU)に通ったことや、埼玉県の長瀞(ながとろ)という自然豊かな土地で育ったことなど、今の自分に大きな影響を与えていることがいくつかあります。その中でも影響が大きいのは、両親の耳が聞こえないことです。


物心ついた頃から、周りの人の目線や、自分はマジョリティとは違うんだということを敏感に感じていました。

自分の第一言語は手話なんですけど、手話って視覚言語なんですよね。だから、相手の表情や身振りなど視覚情報への感度が人よりも高くなる。その上、小さい頃から両親の耳として、一緒にいる時は常に周りに注意を払っていたので、世界を見たり、感じ取る力が人一倍強く育ちました。

 

だけど小さい頃はまだ、入ってくる情報を自分の中で咀嚼して落とし込む力がなかったんです。だから、たくさん情報は入ってくるけれど、それをうまく処理できずにいました。

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━━ 情報がどんどん溜まっていくような感じだったんですね。

そうなんです。その状態に疲れてしまって、中学生のときから3年間、学校に行かなくなりました。

中学は特に、ちょうどスクールカーストができてきたり、みんながお互いの関係性を意識しだす時期。自分はクラスメイトや先生の表情などからいろんな情報を敏感に感じ取って、相手の感情や思っていることを想像してしまって。その情報量の膨大さに対処が追いつかなくなって、ある日を境に、3年間学校に行かなくなりました。

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━━ 学校に行かない3年間はどんな時間だったんですか。

本能的に、これまで溜まってきたものを処理する時間だったんだと思います。

家にいるとノイズがなくなって、最初の3、4ヶ月は日向ぼっこをしたり、ゲームをしたり、何も気にせずに過ごせることに喜びを感じました。

 

でも、クラスメイトが家に手紙やプリントを届けに来てくれたり、学校の先生が家にきてくれる。いくら家に閉じこもっていても、常に社会からのノイズが流れ込んできていて。だんだん、自分は社会から外れているとか、どうして自分は存在しているんだろうみたいな考えに蝕まれていきました。

 

当時1番頼りたかった両親と、なかなかコミュニケーションが取れなかったというのも自分の中に閉じこもった原因でもあります。僕の母は第一言語であるはずの手話が6割ほどしか話せないんです。母が聾学校に通っていた当時は、まだ聴覚障害に対して理解が遅れていた時代。社会で生きていくために、学校では手話ではなくて発声方法や、読唇術を教えられていたんです。

完璧ではない手話を土台に日本語を習ったので、母は文法があまり得意ではないんです。だから、会話でも複雑なことを伝えるのが難しい。父は手話をしっかり使えるけれど、僕の手話のレベルがそこまで高くないので、母に通訳をしてもらわないといけない。だから父ともしっかり会話をするのが難しくて。

自分が感じていたモヤモヤとか、考えていることを一番身近な人に吐き出せない状態で、どんどん気持ちが病んでくるし、だれにも助けを求められずにどうしようと思っていました。

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言葉することで、世界が動き出した日

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━━ その状態が変わったのは、何がきっかけだったんでしょう。

毎日学校のプリントを届けにきてくれる友達がいて、その子に話をしてみようと思った日があったんです。それで、その子が来るのを玄関で待って、その日からすこしずつ話をするようになりました。

話をすることで、詰まりが取れたみたいな感覚でした。ちょっとずつ詰まりがとれて、水が流れるようになっていった。自分がどう考えて、何を感じているかも次第に理解できるようになっていきました。

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━━ 若林さんが言語化を大切にしているのは、そうした原体験があるからなのかもしれないですね。

それがきっかけで言語化に目覚めたわけではないけれど、繋がっているとは思います。自分が今感じていることや、考えていることの源流を辿っていくと、やっぱりすべては自分の両親のもとに生まれたことに繋がっているんだと思います。
 

すこし話は変わりますが、両親のもとに生まれたことをスタート地点に、今までの人生を自分の言葉で話して軌跡を残してきたという自負がある。だからこそ、今の自分は不幸ではないと思えているし、ちゃんと自分が自分を生きていると感じられる。スタート地点はこの先も変わらないから、これから何が起きても大丈夫って思えているんですよね。

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━━ 若林さんが言語化することの重要性を意識したのは、いつごろからなんでしょう。

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言葉にすることによって自分の世界をつくるということをちゃんと認識して、自分の個性だと感じられるようになったのは、この1年くらいだと思います。

 

きっかけは、読書でした。大学を1年間休学して、旅とかファッションとか読書とか、自分が好きなことをとにかく深める時間をつくった時期があって。その時期に、たくさん本を読んで、感じたことを内省して、噛み砕いて、人に伝えたり、自分の中で言葉にしたりする時間が増えたので、言葉の魅力や影響力をより強く感じるようになりました。

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自分の『輪郭』がくっきりした1on1 collegeの時間​​​​​​​​​​​​​​​

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━━ 1on1 collegeと出会う前から、言語化の重要性を感じてきた若林さん。1on1 collegeを経験した半年間はどんな意味があったと思いますか。

1on1 collegeが自分に与えた影響はかなり大きかったと思います。この半年で、自分の人生の輪郭の刻まれ方が全然違いました。

自分にとって、言語化するってことは、自分の輪郭が刻まれていくこと。自分という存在がくっきりする感じなんです。1on1 collegeと出会う以前も、人に話しをすることで、自分はこういう風に生きてきて、こう考えてたんだっていうことを認識してきたけれど、1on1 collegeというビッグステージがあったからこそ、それがより濃くなったし、いろんなレイヤーで輪郭がくっきりしてきたと思います。

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━━ 輪郭がくっきりするとはどういうことなんでしょう。

確かに、輪郭ってなんなんですかね。

自分が存在している、今生きてるって感じなのかもしれないです。オンラインとかAIとか、人の存在がなくてもいい社会になっている中で、「自分」という存在って薄れていると感じていて。たとえば、食べ物ひとつとっても、機械がつくっているものも増えて、人の温かみを感じなくなったりしている。そういうものに囲まれてるなかでも、輪郭があるということは、自分は存在していていいんだ、生きていていいんだっていうような気持ちになれるってことだと思います。

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━━ 言語化をすることは自分が生きていることを肯定するための行為ということですか?

それは結果であって、言語化すること自体が僕の人生の喜びなんです。

言葉にできない感情とかをどう解釈して言葉にしていくかを考えること自体にワクワクするし、『生きてるわー』っていう喜びを感じられる。

自分の人生を言葉で色付けしているというとイメージしやすいかもしれません。その瞬間瞬間は、色を塗っていること自体にすごく喜びを感じていて、それが終わってみると結果的には作品が出来上がっているみたいな感じです。

━━ 言語化は手段ではなくてそれ自体が目的でもあるということなんですね。

そうですね。
1on1 collegeは命をまっとうしていると感じられる時間でした。自分にとって、生きていると感じられる方法とか、そこに一番近づける手段が「言語化」や「対話」だったからこそ、1on1 collegeはとてもいい時間でした。

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話す側から聴く側へ​​​​​​​​​​

 

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━━ 大学を卒業して、1on1 collegeというビックステージに立つ機会がなくなってしまったけれど、今後はどうしていくんでしょう。

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ピンチですね(笑)。今は、ぼくもたみおさんと同じ、聴く側になりたくて、コーチングの勉強を始めようと思っています。

 

自分が話を聞くことで、相手が頭じゃなくて心で話している状態にすることができたら、自分が話すのと同じくらい楽しいことだと感じていて。以前、友人と話をするなかで、自分の質問を通じて、その子がいままで気づかなかったことが見えてきて。時間が経つごとに、その子の表情が変わったり、感情が動いたりしている姿を見ることができて、それがすごく面白いなと思ったんです。

将来的には、コーチングの枠に縛られずに自分の聴き方でやっていきたいけれど、資格を取ることが信頼にもつながるし、どんな人たちが学びにきているのかにも興味があるので、まずはスクールに通ってみたいなと思っています。

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━━ コーチングのスクールも楽しみですね。最後に、若林さんはどんな人に1on1 collegeをおすすめしたいですか。

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全員におすすめしたいです。今の世の中って、ちゃんと話しを聞いてもらうことって少ないじゃないですか。会話の回転が早いし、話を深掘らない。流れ作業みたいな会話をする人が多くて、空虚だなって感じることも多いんです。だから、みんなちゃんと話を聞いてもらえるステージがあった方がいいと思うんです。

 

話を聞くって、自分がここにいて、あなたもここにいますよっていう意味があると思っていて。それがあるだけで、心の空虚感はなくなるというか。1on1 collegeはちゃんと自分が存在してると認識してくれる場所。それがベースにあった上で、それぞれの目的に合わせて使える。だからだれにでもお勧めしたいなと思います。​

 聞き手:高井瞳

(2025.4.27、学年は当時)

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